犬が人間を選んでくれたことは途方もない幸運! 哲学者・一ノ瀬正樹教授インタビュー(前編)

2022/02/15 10:00

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一ノ瀬正樹教授と「しずか」(左)と「牛若」(右)

 ペットとの暮らしで最も気になることの1つはペットの幸福ではないでしょうか? 自分と暮らしていて彼らは幸福なのか、ちゃんと応えられているのか、どんな態度で接したら良いのか……そんな疑問を抱いたことがある飼い主さんは多いと思います。

 こうした疑問に答えてくれるのは哲学者しかいないでしょう。動物の倫理を専門の1つとされており、ペット、特に犬について哲学的に思考されている一ノ瀬正樹教授*にお話を伺いました。

*武蔵野大学人間科学部人間科学科(哲学)教授、東京大学名誉教授(哲学講座)、オックスフォード大学名誉フェロウ、日本哲学会会長

ペットの幸福

――ペットとして飼われている犬や猫は幸福なのでしょうか?

(一ノ瀬教授) アリストテレス以来、幸福とは何かということをずっと哲学者が考えてきたんですけども、私自身が共感するところが多いのは、20世紀前半の哲学者バートランド・ラッセルの『幸福論』です。ラッセルは、幸福とは自分を忘れ、関心を外に向けて、没頭していることだとしています。

 そうすると、犬や猫は人間のように消化しきれない感情に苦しむことはありませんし、常に関心が外に向かっていると思われます。就職のことを気にかけたり、将来の年金の心配なんてしませんよね。幸福な人生をエンジョイするという点では彼らは達人ですよ。人間には到底及びがつかない境地です。犬や猫は人間といる時は幸福だと思いますし、たとえ人間がいなくても不幸にはならないと思います。

――ペットに十分に応えられていないのではないかという気持ちになることがあるのですが…

(一ノ瀬教授) 人間の方の受け止め方は犬や猫とは違うので、人間の方でできることがあれば、もちろんしたら良いと思います。しかし、ペットたち自身はさほど思ってないんじゃないかな? ヨーロッパの人たちにとって犬を庭の隅に繋いで置いておくのは非常に残酷なことに見えるけど、もしかしたら犬や猫はそこまで感じていないかもしれない。これは永遠の謎です。でも、やっぱり庭の片隅で雪に埋もれている犬なんか見ると、我々の観点からすると偲びないですよね。ただ北海道犬や秋田犬はそういう環境に慣れていますし、実際のところどうなのか……。ただ外におくのは偲びないと思ってしまいますから、室内飼いをするというのはそれはそれで良いことだと思います。

私たちが犬に選んでもらったのは途方もない幸運

――人間はペットに対しどのような態度で接することが正しいのでしょうか?

(一ノ瀬教授) それは3つのモデルに分けられると考えています。

 1つ目は「退廃モデル」と私が呼ぶもので、動物をペットとして飼いならしてしまうことは人為的で道徳的に許容できない、動物、そして自然は畏怖すべき存在だからペットとして飼いならすことは良くないとするものです。たしかに、着せ替え人形のように動物を過度に飾りたてたりするのは、どうなのかな、と感じます。

 2つ目は「補償モデル」です。人間は自然に介入し、人工交配などでペット動物を繁殖させたりするなどして、動物たちに不自然なことをしているため、それを補わなければならないという考え方です。「彼らの基礎的なニーズを満たす」、「野生で暮らすのと同程度の良好な生活条件を提供する」という2つの補償要件が挙げられます。この「補償モデル」は、現在の動物倫理のスタンダードな考え方です。

 この2つのモデルにも一定の説得力はありますが、私は根本的なところで反対です。私の立場は「返礼モデル」です。これは犬に限定したモデルです。退廃モデルにしろ、補償モデルにしろ、人間は自然に介入して動物をペット化できる能力を持っているという前提に立っています。つまり人間の方が動物より能力が上だとしているわけです。だけど実はそうではないんじゃないかというのが返礼モデルのアイデアです。

 簡単に言うと、犬と人間では犬の方が上ということです。犬の方が道徳的に優れています。犬の方が上位の生物ですよ、という考えですね。犬が人間を選んだというのが返礼モデルのポイントです。それを裏づける例として2つの物語があります。

 1つは宮沢賢治の『注文の多い料理店』です。2人の男が犬を連れて猟に出ますが、猟の途中で犬が死んでしまいます。その後、男たちは不思議なレストランに入り、最後に自分たちが猫に食われることを知ります。猫が飛びかかろうとしたその時、亡くなったと思っていた犬が来て助けてくれる、という物語です。この話には重要な暗示がいくつも隠されています。まず犬が先に亡くなるということで、「個体としての犬」の寿命は人間より短く、人間の犬に対する「上から目線」を助長しているということを暗示していますが、同時に犬が再び現れて人間を助けたということは、「種としての犬」が人間を守護していると解釈することができます。

 もう1つの物語は『哲学者になった犬』(文藝春秋)に引用されているアメリカのプレーンズ・インディアンの伝承です。

「その昔、神である大いなる魂が、世界とそこに住むものたちを創り終えた。そして、大いなる魂は人間界と動物界を分けるときがきたと考えた。一同が集まったところで、彼は地面に一本の線を引いた。その線のこちら側には人間が、向こう側にはその他の動物たちが置かれた。みんなの見ている前で、線を境に地面が大きく深く割れていった。…割れ目が橋もかけられないほど大きくなる寸前に、犬が溝を飛び越えて人間のいる方に渡った。」

 つまり犬が主人公なんですよ。犬が人間の上に立っているんです。現在進行形では分からなかったことがずっと後になって分かることが歴史ではよくありますが、犬と人間の関係もそうではないかと私は疑っています。私たちは犬を世話しているつもりですが、実は犬が人間を導いていた、と。実は歴史の真実とは、そういうものだったのだ、と。人間はラッキーにも犬に選んでもらったという物語が可能ではないかと思っています。

 犬は人間を選んでくれて、底なしの愛情と恩恵を与えてくれるのだから、彼らに返礼しなければならないというのが返礼モデルです。個体レベルで見れば人間が犬を世話しているということになりますが、犬という種と人間という種の関係を長い目で見れば、人間は犬に助けられているのだ、犬に選んでもらったのは途方もない幸運なことなのだ、というのが私の言いたいことです。

犬こそ哲学者

――人間が犬から学ぶことは多そうですね。

(一ノ瀬教授) まず犬は人間よりもはるかに道徳的に高潔です。犬は戦争をしない、環境破壊をしない、ジタバタしないで潔く死んでいく。犬は死をそのまま受け入れます。人間は延命したり、胃ろうをしたり、人工呼吸器をつけたり、死なないためにジタバタしますよね。犬を含め動物はみんなそうですが、すんなりと命を生き抜いていく彼らの潔さ、高潔さは、人間の在り方と比べてはるか上を行っています。

 もう亡くなってしまいましたが、「しずか」と「牛若」という犬を飼っていました。ミックス犬のしずかは里親譲渡会で目が合って連れて来ちゃった。柴犬の牛若はペットショップでずっと売れ残っていたんですけど、ある日店頭からいなくなってしまって、店の人に聞いたら奥にいるということで居たたまれなくなって買ってきてしまいました。この2頭と生活して犬は道徳的に気高く、高潔であることを実感しました。歴史的に見ても、私の実感からしても、犬は哲学者そのものです。古代ギリシアの哲学者ディオゲネスは、犬を範にし、「犬のような生活」を目指しました。犬儒派と呼ばれています。

 そんな高潔な犬に人間は選んでもらって、多くの恩恵を得ている。これに応えて種としての犬に敬意の念をもって返礼していくべきだと私は思います。犬の方が人間よりも道徳的に優れているということを自覚することで、自ずと犬に接する態度にも変化が生じるはずです。

 【インタビュー後編では、猫の哲学性、動物の去勢避妊手術、クローン犬などについて倫理学的なお話を伺いました。

文=いぬねこプラス編集部

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