ドーベルマン窃盗は正義だったのか? 哲学者が考える動物と人間の“対等性”
2022/05/28 11:00

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5月19日、千葉県の男性宅からドーベルマン2匹を盗み出したとして動物愛護団体のメンバーが逮捕された。屋外で飼育されていたドーベルマンが劣悪な環境に置かれていたため犯行に及んだという。
ドーベルマンが飼育されていた環境や逮捕された動物愛護団体メンバーの実態については今後の捜査で明らかになると思われるが、仮にドーベルマンが実際に劣悪な環境に置かれており、容疑者らが“正義感”からドーベルマンを“救出”した場合はどうだろうか?
ここには、法に従い犬を放置することが正しいのか、法を犯してでも犬を助けることが正しいのか、という倫理的な問題が潜んでいる。
これについて、動物と人間の関係について哲学的に研究されている一ノ瀬正樹教授*に話を聞いた。
*武蔵野大学人間科学部人間科学科(哲学)教授、東京大学名誉教授(哲学講座)、オックスフォード大学名誉フェロウ、日本哲学会会長
一ノ瀬教授自身もかつて劣悪な環境に置かれた飼い犬に遭遇したことがあるという。
「庭の隅っこに小さな犬小屋を置いてつないでいただけで、散歩もせず、排泄物もほとんどそのまま、という状況です。それで、市役所に訴えて、なんとか改善を指導してもらえないか、と相談したのです。けれども、市役所の言い分では、犬小屋が置いてある以上虐待とは言えない、というのです。結局行政は何もしてくれませんでした。その後程なく、その犬は亡くなってしまいました。胸が苦しく、慚愧の念に震えたことを鮮明に覚えています」。
今回のケースでは、動物愛護団体のメンバーが違法行為によってドーベルマンを“救出”したわけだが、法治国家である以上、違法行為を行った者には「逮捕や処罰は決して免れえない」と一ノ瀬教授は話す。
その上で気の毒な犬を助けるためにできる最善のことは何か。
「今回のケースでは、犬の所有者とコンタクトを取って、犬を気の毒だと感じる思いを繰り返し伝え、短時間でも散歩させてあげたいと申し出たりする、しかしそれでも事態が改善しなければ、行政などに動物愛護管理法の厳格な適用を強く訴える、というやり方がベストだったのではないかと思います」。
ただし、それを行っても事態が改善されないとしたら、違法行為の手を染めない限り、犬が気の毒な状態に置かれているいう事実は変わらない。
犬が劣悪な環境で飼われていたことが事実だとしたら「動物愛護管理法の適用をなんとしても行ってもらうしかない」(一ノ瀬教授)が、一ノ瀬教授が提唱する「動物人間対等論」は、動物と人間の倫理的な関係における基礎を提供できるかもしれない。